2012年10月10日

思考力がある人はなぜあるのか?思考力以前のハードル (2/4)

思考力がある人は多くの場合、ある特定の分野に対して非常に特化した思考力を持っています。それは概ねどの分野でも構わないのですが、あまりに趣味に走りすぎた分野の場合は単純に詳しいだけになりがちです。


どういうことかと言いますと、つまりは思考力は過去の自分の記憶や経験から推察されるものがほとんどだということです。そしてその分野に特化して、詳細に記憶や経験がある分野において、想像をふくらませることを何度も経験すると、まずは、その特定の分野に関してのみ思考することができるようになります。この想像をふくらませるというのは、訓練のためにふくらませようとしているのではありません。

簡単に言えば、その対象のことが好きだからよく考えるだけなのです。私だったらゲームやコンピュータのことが好きだから、そのことをよく考えるだけです。


必ずしもではありませんが、思考力がある方は、具体的にはその対象、ものや分野に関して以下の感情を持つことが前提です。

1. すごく好きだと思う
2. よく見聞きしている。
3. 興味がある
4. 趣味
5. 楽しい、面白い
6. やっている。やってみたい。
7. (ごく稀な例外ですが) やりたくないぐらい、すごい嫌い


その現在の状態に対して考えるというものをし尽くし、現状に満足しない状態になった時に状態の変化を考え出します。どうにかして新しいものを、どうにかして改造を。。。などです。この状態の変化を引き起こそうとする行為が思考力を鍛える方法になり、これを何度も行うと思考しようという糧になり、そして、実際に状態の変化の行動を起こすことで思考力が鍛えられ身につくようになります。この状態を変化させる行動はよく失敗します。失敗するからこそ、どうしたらいいのか、前提はなんだったのかを何度も考えます。それが建設的、論理的な思考の順序を考える訓練になるのです。

これが経験上、次にどうしたら良いのかを考える基礎となり、今までこういう手順で状態を変化させてきたというものをベースにどんなことも建設的にこうして行く必要があるのでは?と考えるようになります。

思考力がある方は、単純にある特定の分野の上述の経験を、何となくだったり体系だっていないけれど、考えることができる、考えることが苦ではないというだけです。


今更どうしようもないと言われてしまえば、どうしようもないでしょう。
簡単に言えば、以下に当てはまる方は、思考力がない場合がほとんどです。

1. 好きなもの、熱中するものがない
2. 好きなもの、熱中するものはあるけど、単純に見ているだけで満足する
3. 見ているだけで満足しないけど、仕方ないから諦めて、自分で好きなものの状態を変えようとしない
4. 状態を変えようとしたけど、知識、(一般)教養がない。
5. 知識も(一般)教養もないけど、できる/できないの結論を理由を持って出す前に、途中で投げ出した

この内、知識や一般教養は好きだけでは身につきません。好きな分野に関しては知識は身につきます。単純に詳しくなったり暗記するだけです。でもどうしてもそれだけでは、複数の知識を身につける何かが足りません。言葉だったり、数字だったり、時事だったり、物理だったりするかもしれません。これら複数の知識をつなげるために一般教養は必要です。


また、状態を変更するというのは以下の欲求を解消することを指します。

1. 楽しいけど現状に飽きてきた。もっと楽しくしたい。面白くしたい
2. 人がやっているのを見ているのが好きだったが、自分でもやりたい。だから何とかやりたい。どうにかしてやりたい。
3. こういうことができたらいいなと思う。ちょっと何か自分に合わない。一手間あるのが面倒だと感じた
4. どうしても今のままだと面倒くさい。楽になりたい。
5. 今のままでは、これができなくて困っている。自分で何とかしたい。自分でどうにかしたい。

よって、例えば麻雀は好きだという方は、最初の好きなものがあるという前提を満たします。ですが、現状の麻雀のルールに満足して面白いと思うだけでは思考力は身に付かないのです。ルールをねじ曲げてみたい、如何に効率よく状況を簡単に把握できるようになるにはどうしたら良いか、自分でルールを展開したいと思うようになってしまうぐらい熱中する人が、最初の思考力の基礎への扉が開きます。

また、困っていても、それを自分で何とかするのではなく、既製品から探すだけではやはり考えないため思考力は身につきません。自分の要求を叶え終わっているものを探すだけでは、あれば満たされ、なければ諦めてしまうため、考えません。あくまで、探しても、その後無ければ諦めないで自分で何とかしようと思う場合だけです。逆に言えば、諦めてしまうというのは「好き」ではあるのでしょうが、「ものすごく好き」ではないと思います。


上記のほぼ趣味に近いことを経験したことがない場合、思考力が身につきません。

そして、その状態を変えるということを何度も何度も、何年もかけて経験すると、思考力の基礎ができます。思考力とは趣味の改善に近いものです。


好きでも嫌いでもない感情を持ったまま、思考力を身につけたくて本に頼ります。でも、どうやればいい、ああやればいい、と言われても、ふーんで終わる。結局それの必要性は何となく理解できるけど、それを習慣にはできない。最初はがんばってやってみているけど、しばらくすると忘れてしまう。だって、興味がないから。本当に必要な時はそんなにないし、面白くもないからとなって、結局身に付かないのではないかと私は考えます。
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