2012年07月02日

コミュニケーション能力とは何なのかな

よく言われるコミュニケーション能力。

いつも言われることは、飲みニケーションや趣味が充実していることが、最終的には営業としてうまく成約に結びつくという話です。彼らの言い分としては、飲みニケーションはコミニケーションを潤滑に行うために必要ということです。また、話の面白さもそういう面でコミュニケーション能力の一つだということが叫ばれています。
論理がおかしく、飲みニケーションはコミュニケーション能力の一部であるという主張をいいながら、それが全てでそれがなければコミュニケーション能力があるとは言えないと言い始めます。
話が常にそれぞれ独立して論理を展開するため、聞いている側は反論できないのがポイントです。
そして、それを発揮するから仕事が取れるという言い分をよく聞きます。
そうするから顧客から信頼が得られるとも主張されます。

さて、コミュニケーション能力とはどういう意味なのでしょうか。
普通に訳すと意思疎通でしょうか。Wikipediaによれば、「交流」であり、「生命体 (人間、動物、植物、微生物等)が、感情、意思、情報などを、発信受信応答、つまりは、相互連絡関係をもとうとすること。」のようです。
ポイントは相互に連絡関係がある状態であることでしょう。

意思疎通。意味は、自分の意思(考え、思い、感情、情報が主たるものでしょう)について、相手が疎んじている状態を通ずる状態にすることではないでしょうか。
疎んじている状態とは、理解が不完全であるということです。それを通ずるようにするということは相手に理解させるということです。

コミュニケーション能力は、会話の能力ではありません。相手に理解させる能力です。

確かに、英語において話すに関連する英語は、speak, talk, chat, lay on, conversation, open one's, tell, ask, have face等があります。これらは意味が異なり、speakとtalk(の半分ぐらい)は一方的な能力、askやtellは問い合わせる能力、chatやconversation、その他は会話や雑談のような意味です。では、理解はというと、comprehendやunderstandがありますが、これらは〜を理解するという意味です。
どこにもcommunicationが出てきません。ここでよく言われる飲みニケーションを考えると、確かにコミュニケーションを取る上で、話すということや理解するということはコミュニケーションの重要な要素、手段であることは確定できます。が、必ずなければならないというものでもありません。

なぜそんなことを言うのかといえば、私はコミュニケーションについての研究を学生時代担ってきたからです。
コミュニケーションには、大きくバーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションがあります。この二つを発揮することがコミュニケーション能力を発揮するということです。
そして、バーバルコミュニケーションは、口頭でなくても手紙でもよく、むしろ飲み屋でなくても、面白い話でなくても、趣味が通じなくても良いものです。
ノンバーバルコミュニケーションは非言語コミュニケーション。つまり、仕草や表情といったものです。これらを駆使し、相手に自分の主張を理解させることができる能力をコミュニケーション能力というと私は考えます。ポイントは、バーバル、ノンバーバル両方もしくは片方を相手にあわせて適切に使いこなすことができ、その結果相手に主張を理解させることができることです。

以下は、とても失礼なことを言います。不快に思う方がいましたら、本当に申し訳ございません。ですが、言わせていただきます。
コミュニケーション能力がそのように定義されなければ、もし障害があることで話せなくなった方、耳が聞こえなくなった方はコミュニケーション能力を絶対に持てないことになります。
また、お酒が飲めない方、無趣味の方は相当な努力が必要になってしまいます。
元々の先天的、後天的な状況をもってしてコミュニケーション能力の有無を語ることは、本来の意味の達成とは異なるのではないかと考えました。

私はコミュニケーション能力とは、相手の理解のために努力すること、そのために言葉や表情、仕草、資料等をどこまで相手の理解のために用意でき、その用意を相手のために奉仕できるかではないのかという、思いやりの能力だと思いたいのです。
その結果、営業的に成約できるのは、誠意と信用が生まれた結果であって、決してコミュニケーション能力の有無とはまたこれらは関係ないとも思いたいのです。


最初の多くの主張である飲みニケーションはchatやconversationであって、communicationではないと思います。どこかでうまく、相手の中に信用を得ることができたり、探り探り相手の考えをくみとることができたり、もしくは本当にcommunicationが部分的に発揮できた結果、飲みニケーションで成果が得られ、それがいつの間にかコミュニケーション能力の一部と勘違いされたのではないかと思いたいのです。


コミュニケーション能力とはつまり、誰かが一部の人間のための能力ではないということを言いたく、また、有無について語ることは無意味だと思います。無いのではなく、思いやりや相手の理解への配慮が足りないだけだと考えたいと思うのです。


これらは完全に私の個人的な意見です。人の考え方についてどうこう言うつもりもありません。
ただ、よく言われる「あいつはコミュニケーション能力がない」というのは、もっと考えて私も発言したいと反省しました。これは、それ自体が相手とのコミュニケーション、つまり相手の状態への配慮が欠けた状態だからです。これは、そもそもの人間関係を醸成する行為の否定であって、自らアンテナを閉じた状態なのかと考えました。
ここから色々と考えて上述の思考にたどり着きました。

勝手ながら、きっと私たちは思いやりという面で、何か重要なものを忘れてしまったような、そういうことが感じられることが多く、私はもっと反省すべきと気づきました。という告白です。


余談ですが、社内で飲みニケーションが推奨される会社もあります。ポイントが発行されたりというところもあるそうです。それはコミュニケーションとは別としてもおもしろいと思いました。
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