2014年07月27日

「考えなさい」という指示は無駄なことが多い

会社の上司からよく言われる叱られる言葉の最後に「考えてみなさい」もしくは「考えなさい」があります。
簡単に言えば、これは上司から部下に対しての教育をかねての言葉だったりします。
また、コーチングにしかり、いろいろなご意見の中で、コミュニケーションが重要であり、最終的には対話の中で考えさせるというのが結論として語られます。コミュニケーションについての多くの知識、経験は話の中でこうしたらよいなど雄弁に語られますが、考えさせること、その方法については全くと語られることがありません。

それは単純に考えさせることが話のテーマではないか、考えさせるのは別の機会でということか、もっと言えば、考えさせることまでは方法論がないかのいずれかだと考えます。

私には、この上司から部下に対する考えなさいという指示、言葉は間違えている対応だと思います。
もし最初から言われているようにもっと考えてきなさいという対応ができているのであれば、最初から考えて答えを上司にもってきているはずです。
誰だって、やっつけ仕事でなければ考えて仕事をして、そのうえで分からないから上司に相談するなり、考えた結果これが自分なりのベストという意識をもって上司に報告します。
そこからさらに考えてみなさいということに対して、何を期待しているのか?となります。

一つ目は、対話をしている中で気づきが本人にあったから、考えさせたら答えを自分の力だけで導き出せそうだと感じる場合。この場合はごくまれにありますが、その場合においては本人にはすでに答えが見えています。

二つ目は、あまりにも正解に遠いから、もう一度考えて少しは正解に近づけてみなさいという場合。
この場合は、多少は時間をかけただけあって正解に近づく可能性もありますが、逆に遠くなる可能性もあります。もちろん、正解に近づくヒントを出すこともあろうかと思いますが、そのヒントをヒントととらえるかどうかは相手次第です。つまり、上司のヒントを出してあげたという自己満足の世界で対話が完結しているのです。
このパターンの上司は、案外部下の言葉に耳を傾けていないことも多く、考えなさいというのは単に自分が正解に部下をコーチングしていくのをさぼっているだけのケースがほとんどだと思います。

もちろん、上記二つに合致しないケースもあるかもしれませんが、私の狭い経験の中では、特に二つ目の上司がほとんどを占めていると思います。

これは時間の浪費です。
まず、考える力というものを誤解しているかもしれません。
人は誰しも考えた結果について、考えた末に思いついたと思いがちですが、そういうケースは少ないのが実態だと私は思います。通常は思い付いたのです。。。ひらめいたともいえます。
それを考えていたからと表現しているだけです。

ある仮説を立てて、それが正しいかを論理的に導き出していく作業が考える力の一つだと思います。
つまり、考えている場合には、ある一つの考えの次の意見までしか出てこないのが実情です。そして、さらに次の意見にたどり着くのには、思い付きやひらめきが必要不可欠です。

上司が求める考える力は、ある種の思い付いた結果やひらめいた結果の正解を部下に求めていることと同義です。よって、上司に見せた成果物から本当に上司が求める正解を考えて導くことは通常できないものです。
それこそ、別の観点から思い付きでもしないかぎり・・・。

思い付きやひらめきは、大量の経験が必要です。
ある物事に対しての10の経験と、その中から出た100の不満に対して導いた解決策が思い付きやひらめきで表現でき、それを普通は考えた結果出たものと表現していると私は思います。

上司が部下の出した答えに対して考えろというのは、そのことに対して、部下に大量の経験をさせていなければ、時間の浪費、部下は考えても何をどう考えたらよいのか、むしろ自分はものすごく考えたのに・・・と不満を持ち、さらに試行錯誤して場合によっては近づくかもしれない正解もあるかもしれませんが、より正解が遠のき、さらに時間が浪費されます。

考えてみなさい、その結果出た答えが正しければ成功体験になるのかと言えば、そうでもないのも実情です。
残るのは時間の浪費と部下の本当にこういう上司のやり方は正しいのかという思いを残すだけです。
上司にとっては部下を思って考えさせたのかもしれませんが、部下にとってはもっとビジネスに対してドライに時間の無駄を意識させることになります。

考えさせるのではなく、答えを提示した上で、どう違うのかをコミュニケーションの中で部下に発言させるのが、もっとも次に部下は自分の行動が正しく上司が求めるもの、ビジネスとして正しいものだったのかを考えるきっかけになります。

上司は単に考えてみなさいと、答えを提示せずに、またできなければ仕事を取り上げてしまうのではなく、考えさせるならば、それなりの理由と行動を示す必要があることに気付くべきでしょう。